おはようございます。

「天空気功との出逢い」シリーズを書き終わりました。

読み返してみたら、時系列バラバラで、内容もパッチワーク的なツギハギ文章です。
文章があまり上手くなくてすみませんm(_ _)m

このサイト運営が安定してきた頃に、リライト、もしくは、シリーズ追加をするかも知れません。

まずは、書き進めることを優先させていただきます。

新規カテゴリーとして、「人生の目的」を追加してみました。

天空気功を実践するに当たって、その目的にずれがないか確認できるように自戒する意味での記事です。これも自分のための付箋的な意味合いの記事になりますが、私だけではなく、天空気功の目指すところを知りたい方の参考になるかも知れません。

天空方命術/天空気功の目指すところは、仕事・お金・健康・恋愛・結婚人間関係など、人生諸般の問題解決だけが目的ではないようです。むしろ、それらは人間としての目的・使命を成就するためのひとつの過程、枝葉に過ぎず、その主幹は人間として生まれた目的の成就にあります。
天空方命術を主宰される松山喜代英先生の著書を読む限り、私はそのように感じました。

以前の記事には書きましたが、私は天空方命術の運営側ではなく、受講生のひとりに過ぎません。
でも、人生の目的がはっきりと明記されているところが私が松山先生の教えに魅かれた部分なのです。私はずっとそれを探し求めていたのですから。

ここに書く「人生の目的」は、「人類共通の目的」とした方が良いかも知れませんが、字面がちょっと仰々しいようにも感じます。

「人類」とは、個人や民族などの壁を越えた人間全般を意味します。

「人類共通の目的」があるように、「民族共通の目的」や「個人としての目的」もあると思います。

例えば車には、エンジン・ハンドル・タイヤ・ボディ.etc、細かいところまでを言えばビス類など、数え切れないほどのパーツがありますが、それだけではただの物体に過ぎません。

その車に、「私が住む出雲から東京まで行く!』という目的が発生した場合・・・(松山先生のいらっしゃる和歌山の方がいいかな、姪もいるし^^)、それぞれのパーツには、共同体として「走行する」という共通の目的が生まれます。

それぞれのパーツの目的がバラバラでは、到底東京(和歌山)には着きませんね。

車が人類だとすると、駆動部・電装部・制御部は各民族、タイヤ・バッテリー・エンジンは各個人だと解釈できます。

天空気功的に言うと、カーナビは「魂」、ガソリンは「気」に当たるでしょうか?

なんて、色んなことを考えつつ思考の整理整頓をしております。

てんで勘違いなことを書いていたらすみません。
でも、あながち、的外れな見解ではないと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。