
こんばんは。
令和4年のゴールデンウィークが終わりましたね。
最長10日のゴールデンウィークの方は、今日から仕事など日常業務に戻れらていることでしょう。
ゴールデンウィーク最終日だからというわけではないでしょうが、昨日は出雲で天空気功セミナーが開催されました。
出雲での天空気功セミナーは二回目なのだそうです。
一回目は去年開催されました。なんと、松山喜代英先生直々の出雲セミナー!
・・・のはずだったのですが、新型コロナウィルス感染症の蔓延により松山先生の出雲入りがかなわず、急遽天空気功島根教室指導員のYさん(女性)によるセミナーに変更となったと聞きました。
今回も企画から会場設定、そして、運営から講義まで、すべてYさんがひとりされていました。
Yさんのその情熱はどこから湧き上がるのでしょうか?
メラメラと情熱を燃やし、拳を固めて果敢に進んでいくようなタイプには見えません。
どちらかといえば、おっとりとした雰囲気を醸し出すような方です。
Yさんの目指すゴール、”心のカーナビ”に入力した行き先はどんなところなのでしょう?
そして、天空方命術のどんな所に魅かれているのでしょうか?
これ、ぜひ一度インタビューしてみたいものです。
思えば、Yさんが出雲で天空気功教室をされていなかったら、私が天空気功に出逢うことは無かったし、未だ私はメンターや啓発メソッドを求めて彷徨っていたかも知れません。
私と天空気功とは、まさに奇跡のような出逢いです。
でも、人生における奇跡的と思える出来事も実は必然で、自分で決めて生まれてきたのだと、そんな話もよく聞きます。「生まれる前の約束」と呼ばれるものですね。
セッティングしてくださったYさんにはもちろん、天空にも、魂にも、神々にも、ご先祖にも、そのお導きに感謝いたします。あっ、松山喜代英先生にもです。
私達は感謝を学ぶために生まれてきているようです。松山先生いわく、愛と感謝を学ぶために生まれてきている、だったかな。
私は愛という言葉は使い慣れていません。歌や映画の中では馴染みのある単語ですが、日常会話で愛なんて言葉は使うことは殆どないような気がします。使うのが小っ恥ずかしいと思うのは私だけ?
愛の類語は、仁や慈悲などがありますが、こちらの方がまだしっくりきそうです。
私の家は代々浄土真宗の檀家なのですが、仏教的には愛よりも慈悲がよく使われます。
「仏の愛」だとちょっと違和感がありますが、「仏の慈悲」なら違和感はないです。
「大悲 風の如く」(紀野一義 著)という本もありました。(若き日に仏教学者の紀野一義先生の本にどれだけ救われたことか!)
仏様の愛はなんで悲という文字を使うのでしょうね。
私の場合、愛を慈悲、天空を極楽浄土、魂を阿弥陀如来と呼んだほうが生活に密着しそうだなぁ。
いやまてよ、天空は空の世界で、極楽浄土は超意識かな・・・なんて、時にはサムシング・グレートの世界に思考を巡らすのも意識が高まって良いでしょう。ただし、巡らしすぎると思考が絡まってしまいますが(^_^;)
天空気功出雲セミナーは、次回も考えているとYさんはおっしゃっていました。楽しみです。
気功はひとりでするよりも、複数で行う方が気持ち良いですね。気のシナジー効果みたいなのがあるのでしょう。場の気というものもあるかもしれません。
「心のちから」と「気のちから」で、その場がまほろばとなったらすごいですね。
そして、幻となった松山喜代英先生の出雲セミナーも是非実現することを祈ります(˘人˘)祈
万物が平和でありますように。
万物が調和でありますように。
万物が幸福でありますように。
万物が愛でありますように。
「万物のいのり」より
最後までお読みいただき、ありがとうございました。